AIが台頭してきた昨今、人間の手で書いた創作物など誰も必要としなくなる日が来るかもしれません。結論から言うと、AIに依存すると自分で文章を書く力が身につかず、自分の頭で考えることもしなくなる可能性があります。AIに頼りきると、具体的に、どのような弊害があるか考えてみたいと思います。
一瞬で、文章を自動生成してくれる
転職サイトの求人に応募した際、職務経歴書をAIが自動生成してくれる機能を、私も使ったことがありますが、一瞬のうちに長文が簡単に作成されて衝撃を受けました。
「コールセンター」「苦情処理」「電話応対」という言葉を選ぶと、自動的にコールセンターで働いた経歴の持ち主の文章が出来上がりました。
「私はコールセンター業務で様々な顧客のクレーム対応や問題解決を迅速に行い、顧客のリピート率を高め、品質管理の向上に貢献致しました。…この経歴を活かして貴社の〇〇業務にも必ずやコミットできると確信しています…」という感じの堅苦しい文章です。
いやいや、そんなすごい経歴だったらバイトじゃなくて今頃、マネージャーやってるだろ!とツッコミたくなる輝かしい履歴書ができました。
自動で文章を作成してくれるなんて、便利すぎるし、手抜きしてずるいと思いました。大学の卒業論文で、どうやって論文を書き上げるか頭をひねりながらPCとにらめっこしていた自身が、なんだかかわいそうに思います。
一方で、AIに頼り切ることの怖さも感じます。自分で、文章を書く力が損なわれるのではないかと感じます。
すべて自動化してしまえば楽ですが、文章に誤字脱字等の誤りがないか、意味は通じているかなど、自分で考えて推敲する必要がなくなってしまうのは問題です。
もちろん、文法的に誤りがあるのは論外ですが、情報の信ぴょう性や整合性など、本来なら自分で考えて文章を組み立てていくべきところを、AIに全てを委ねるのは危険です。
そして、自分の言葉で表現するという、人間の最大の武器が失われると思います。
機械的で無機質な文章は、事務的で整った印象ですが、人間味がなく面白味にも欠けると思います。それが、個性のない文章ということだと思います。
AI技術の専門家が見れば、人間が書いた文章かどうかは、すぐに判別がつくそうです。
結局のところは、卒業論文も、自分の言葉で書かないと評価されないのですね。
そうであってほしいと思います。
AIの情報が正しいとは限らない
インターネットで情報を検索しても「自分が求めている情報が書かれていない」「すでに知っていることばかりで新しい情報が得られなかった」と思うことはありませんか?
検索の仕方に問題があるのかもしれませんが、ほしい情報がすぐに見つかるとは限りません。
情報は無限にあるけれど、どれを選ぶかは個人の自由です。また、どの情報が正しいか判断することが難しい場合もあります。「これが正しい」と直感を信じて選んだとしても、無知な場合は誤った情報を信じてしまうこともあるでしょう。
その分野の専門家でないのなら、情報弱者になることは誰にでも起こり得ると思います。
AIの書いた文章が、すべて正しいとは限りません。古い情報や誤った情報をもとに文章化されている可能性があるからです。つまり、自動生成された文章も事実と異なる場合もあり、絶対ではないということです。
こうなると、AIが生成した文章をわざわざ読み返して誤りがないかチェックしないといけないので、文章を書く側の人間が管理しなければなりません。非常に手間のかかることですが、現在のところは必要な手順でしょう。時代は変わり、技術が進歩していくので、もっと優秀で便利なAIが登場するかもしれません。
文章よりも動画の方が需要がある?
私も、一読者として、ニュースや気になる話題などたくさん見てきたので、読者目線の「好き嫌い、興味の有無」ははっきりしています。そして興味のあるもの、好きなものしか見ない偏った状態になります。例えば、好きな車の情報ばかりを見たり(笑)
実際、どれくらいの人が長文の文字を読めるのかわからないですが、興味がないと思ったら途中で読むのをやめると思います。
活字が嫌いだから、文章ではなく動画で見たいと思う人も多いでしょう。
動画のほうが見るのは簡単です。家事をしながら見れますし、急いで見たければ再生速度も速くできます。また、視覚に訴えるのでインパクトもあり、文章だけでは難しい内容も映像や図で解説されると理解もしやすいと思います。
私も、興味があると思ったらとことん調べ尽くして、ありとあらゆる関連動画を見漁ってきました。
しかし、興味関心は、長くは続かないものです。どんなに需要がある記事や動画も、永久に必要とされる保証はありません。
いまこの瞬間は、バズるとしても、半永久的にバズり続けるのは、よほどの価値と需要がないと成立し得ないからです。そもそも「バズる」という言葉すらも、将来的に使われるかわかりません。言葉は、時代とともに常に変化を続けているからです。
何よりも、すぐに別の話題や他のインフルエンサーの動画が気になってしまいます。
一時的に話題性が強くて社会的にも影響を与えるような記事は、確かに情報として取り入れるけれど、時間が立てば忘れていくし、古い話題に感じると「その話はもう、いいかな」と冷めたような感覚になるのは私だけでしょうか?
あんなに興味があって毎日見ていたYouTubeの動画も、チャンネル登録したことすら忘れてしまうのです。片っ端から動画を視聴しまくって、生配信まで見ていたとしても、よほどのお気に入りでないと、わざわざ動画を見に行かないです。チャンネル登録した番組が増えれば増えるほど、実際に自分が再生するチャンネルは限られてくると思います。
人は、飽きるということ
動画や記事の内容に関わらず単純に人は「飽きる」のだと思います。飽和状態になるのでしょうね。
でもそれは、自然なことだと思います。
人々の考え方や価値観、趣味嗜好は、大本は変わらずとも少しずつ変化していくものです。
今では当たり前になっている考え方も価値観も、40年前、50年前には存在していないのです。
大正、昭和、平成、令和と、時代は移り変わり、世代間の考え方や価値観も異なるのです。
10数年前には、「勝ち組」「負け組」という言葉が流行ったことがありました。
今、この言葉を使っている人はほぼいないと思います。
今、この言葉を平気で使う人がいるとしたら、完全に時代に取り残されているか、古い考え方に執着している人だと感じます。そして、そのような考え方の人がいたとしても、現代では「自由」という言葉で異なる価値観ですら、その存在を許されるのだと思います。
どれだけ技術が進歩しても、AIが人間を超えることがあったとしても、人間固有の考えや価値観を、AIがすべて塗り変えることは、不可能でしょう。
まとめ
- AIに依存すると、自分で文章を書く力が損なわれるのではないか
- 自分の言葉で表現するという、人間の最大の武器が失われる
- 専門家が見れば、人間が書いた文章かどうかは、すぐに判別がつく
- 自動生成された文章も事実と異なる場合もあり、絶対ではない


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