「夢見る少女じゃいられない」「恋心」などのヒット曲で知られる歌手の相川七瀬さん(50)が9月19日、離婚していたことを自身の公式サイトで報告しました。相川さんは2001年2月に一般男性との結婚を発表し、3児を出産しています。
公式サイトでは「ファンの皆さまへ」として、「私たちは夫婦を卒業し、家族は新しい形で仲良く元気に暮らしています。温かく見守っていただけましたら幸いです」と報告しています。さらに、「30周年がスタートして、コンサートも続きます。今後とも変わらぬご声援をよろしくお願いします」と呼びかけました。この日公開された「NEWSポストセブン」の記事では、相川さん自身が約1年前に離婚していたことを明かしています。
相川さんは1995年11月に「夢見る少女―」でデビューしました。96年発売の「恋心」はミリオンを達成しました。私生活では、18年に高卒認定試験に合格し、国学院大に入学。24年からは同大大学院に進んでいます。
相川七瀬ってどんな人?
相川 七瀬(あいかわ ななせ、1975年〈昭和50年〉2月16日生まれ)
中学1年生の時に「中学3年生まで(歌手になる)オーディションを受けさせて」と母に頼み込み、最後の挑戦とした1990年(平成2年)に中学3年生(15歳の頃)でCBS・ソニーグループ主催のオーディションを受けるが結果は不合格。
約1年後、オーディション審査員の織田哲郎(後のプロデューサー)から直接電話を受けるが、芸能界入りを諦めており、一旦は断るが、この時に織田から自宅の電話番号を伝えられ、約1年後に改めて織田に連絡。高校中退ののち上京。
歌手デビューのためにボイス・トレーニングを開始する。芸名「相川七瀬」はプロデューサーである織田哲郎が命名した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
相川さんは意外にも、一度は歌手になる夢を諦めていたのですね。
それなのに、後のプロデューサーの目に留まるなんて、すごいです。
やはり、大物になる人は違いますね。
織田哲郎氏は、後に相川さんの当時の印象について語っています。
アイドルのオーディションにも関わらず、その子はニコリともせず、審査員たちをずっとにらんでいました。
そして工藤静香さんの「嵐の素顔」を大声でシャウトして帰りました。当然、その風変わりな子はオーディションに落ちましたが、私の頭の中にはずっとその子の強烈な印象が残っていたのです。
当時、ガールズロックは世の中にあったのですが、全体的にどれも健全さ、元気さを競うかのようなテイストでした。私はもっとダークで、なおかつポップなロックができないかと考えるようになり、思い出したのがあのオーディションで出会った少女でした。
私はオーディションを主催していたビーイングの社長、長戸大幸さんとCBSソニーの制作トップの了解を得て、その子に会いに行ったのです。しかし、そのときは「学校が楽しいのでもう歌をやる気はない」と断られ、「じゃあ、気が変わったら連絡ちょうだい」と言い残して、東京に戻りました。それから1年後、突然彼女から「学校をやめました。やはり歌をやりたいです」という連絡があったのです。
出典:【織田哲郎 あれからこれから】ニコリともせず…オーディションの審査員をにらみつけていた相川七瀬(1/2ページ) – zakⅡ
なんと、審査員たちをずっとにらんでいたという、アイドルのオーディションとは思えない空気をまとっていたと聞いて衝撃です。
まさに「夢見る少女じゃいられない」の歌詞と世界観そのままの少女ですね。
相川さんの内側にあふれる才能、人を引き付ける強烈な個性、秘めた可能性は造られたものではなく、すでにご本人の中からあふれ出ていたのですね。ダイヤモンドの原石は、磨く前からひときわ輝いていたのでしょう。続いて、相川さんの活躍を見てみましょう。
いきなりミリオン大ヒット!
1996年7月、ファーストアルバム『Red』リリース。
オリコンのアルバムチャート初登場1位、現在までに245万枚を超すダブル・ミリオン大ヒットを記録。
同年10月発売の5thシングル『恋心』はミリオンセラーを記録し、自身最大のヒット曲となり年末に「第47回NHK紅白歌合戦」に初出場。「夢見る少女じゃいられない」を披露。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『恋心』は、当時私の通っていた中学校で運動会の入場曲として流れたのをよく覚えています。1997年の秋です。
イントロから、なんとも言えないせつない曲で好きだったのですが、その歌詞の意味を知るのは大人になってからでした。
歌とともに、当時のことを思い出しますね。(遠い目)
話が脱線しそうなので、戻します。
この曲のミュージック・ビデオは、ドラマ的なストーリー仕立てで、相川さんが『ボニーとクライド』を連想させる強盗の役を演じています。物語は逃避行の末、警察の一斉射撃により悲劇的な結末を迎えます。登場する俳優は誰かと思って調べたら、なんとエイベックスの松浦勝人社長(当時の専務取締役)が強盗に撃たれるコンビニ店員としてカメオ出演しています。
相川さんに社長が銃撃されている…なんということでしょう!また、織田哲郎氏も人質役として登場しています。彼は相川さんが強盗の役を演じる様子を見て、「こんなに銀行強盗が似合う人もいない」と評価したそうです。
標的を見つめてニヤリと笑い、次の瞬間、容赦なく銃を乱射する姿は衝撃的で30年経った今では、地上波では流せない過激な映像かと思いますが、これ以上ないはまり役だと思います。
さて、相川さんの歌手としての活躍はもちろん素晴らしいですが、私生活も充実した日々だったのでしょうか。
歌手活動と結婚生活は?
2001年、シングル2枚同時発売。2月に一般男性と結婚。
その後もスタジオ作業は継続し、出産直前まで制作に携わり、各方面で活躍するミュージシャンとのコラボレーションによる初のバラードミニアルバム『The Last Quarter』発表。
9月6日、第一子となる男児を出産。
また音楽活動以外に、2002年7月に小学館より絵本「ぼくはくじら」を発表。12月に絵本の第二弾『くじらサンタ』を発表。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
相川さんは結婚後、出産直前までお仕事を続けておられたのですね。
また、出産後は音楽活動以外に、絵本も発表されているのを見ると、かっこよくて素敵なお母さんになったのだと感じます。絵本『ぼくはくじら』は、くじらのイラストがとてもかわいい表紙で、中身が気になります。
2007年、妊娠9か月の時期もライブを敢行、後で助産師に叱られた。
9月9日、自宅出産で無事に第2子となる男児を出産。この頃から音楽雑誌の他に、主婦・子育てをする母親を対象とする育児雑誌にも活動の場を広げ、インタビューが掲載されるようになる。
2012年9月18日、難産ながらも第3子となる女児を出産。
2018年、43歳を迎え、約2年の猛勉強の末に高卒認定試験に合格。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
なんとまあ!!(驚)
相川さんは仕事熱心なあまり、妊娠9か月の時期にライブを敢行してしまったのですね!
仕事関係者も、なぜ止めなかったのかと思いますが、ご本人も大丈夫と言ったのか、どうしてもスケジュール調整ができなかったのでしょうか…?
ロックでハードな相川さん、助産師もビックリな破天荒ぶりです。
何はともあれ無事に女の子が生まれて本当に良かったです。
相川さんは、猛勉強して高卒認定試験に合格し、国学院大に入学しています。また、2024年からは同大大学院に進んでいます。常に新しい挑戦を続けている相川さん。
夫婦の間に、どのような価値観の違いがあったのか気になります。相川さんは、インタビューに次のように答えています。
相川七瀬、過去と未来への挑戦
「結婚生活では家庭内のこと以上に仕事の話が多かったと思います。それが結果的に、考え方の衝突に繋がっていったのかもしれません。私の今後についても、彼は『今までと同じ自分で同じ音楽をやっていけばいい』というスタンスでしたが、30周年を迎えたいま、『夢見る少女じゃいられない』を発表した頃の私でいつづけるのはどうしたって難しいし、新しい挑戦もしてみたかった。
例えば、やったことのない47都道府県ツアーにも挑戦してみたいと相談すると、彼は『7大都市ぐらいがちょうどいいんじゃないか』と。歳を取るにつれてできることは狭まっていく、というのはすごく地に足がついた意見かもしれないけれど、やっぱり私の考え方とは違ったんです」
「彼の方が年上というのも大きかったと思います。この先、家族で落ち着いた生活を望む彼と、あと20年は現役バリバリで歌っていたい私との間に、ギャップがあったように思えます。 最近は新しいファンの方たちが増えてきたり、少しずつ昔のお客さんもまた来てくれるようになったりしています。本当に47都道府県ツアーに挑戦したり、その先を見据えた活動をしたりする50代を私は思い描いているんです」
「今の自分の熱量は、デビューした20代前半の頃と似ているなって感じているんです。その熱量を50代の私が持っているっていうのは大切にしたい。きっと、30代、40代前半ぐらいまでは、子育て優先で音楽をするのが難しい時期があった。その頃の自分がやり残した分を取り戻すように、少しずつ真剣に音楽に向き合っていきたいんです。
最近はロック以外の音楽にも取り組んでいて、もしかしたらもっとキャリアを重ねた時に、かつてロックをしていた自分と今の静かな音楽に取り組んでいる自分が繋がる気がしていて。だからあと20年はこの熱量のまま、音楽を続ける自分を大切に育てていきたいんです」
出典:《結婚23年目で気づいた11歳差の溝》極秘離婚の相川七瀬が感じていた年上夫との「静かな老後への不安」(NEWSポストセブン) – Yahoo!ニュース
長年支えあっていた夫婦でも、仕事に関するビジョンや方向性が異なったということですね。
私生活では家庭内のこと以上に、仕事について話すことが多かったお二人。
まだまだ、現役バリバリで歌いたい、これまでと違う新しい挑戦をしたいという相川さん。
年齢を重ねてもなお、新しいもの・興味のあるものに、全力で突き進む姿に勇気をもらえますね。
仕事と子育てをしながら、大学にも通う、次々と挑戦を続けている情熱はすごいです。
まとめ
- 「結婚生活では家庭内のこと以上に仕事の話が多く、それが結果的に、考え方の衝突に繋がっていったのかもしれない」と語る相川さん。
- 47都道府県ツアーに挑戦したり、その先を見据えた活動をする50代を相川さんは思い描いています。
- 「子育て優先で音楽をするのが難しかった頃に、自分がやり残した分を取り戻すように、少しずつ真剣に音楽に向き合っていきたい」と前向きに語っています。
新しいステージで、力強い歌声で人々を魅了し続ける相川さんの生き方こそ、ロックそのもののように感じます。
考え方の違いがはっきりしたことで、それぞれが進むべき道が自然と定まったのでしょう。
「夫婦を卒業」して家族という形でありながら、別々の道へ進む勇気ある決断をした相川さんに、きっと素敵な未来が待っていると思います。


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